ありがとう腎臓病

このブログは25才で腎臓病と診断されたKIYOKUNが、ある人からの「腎臓病に感謝」という言葉をきっかけに、毎日を精一杯生きてHAPPYな人生を歩む物語です。

其の55
心のお汁粉

 

そんな時に、S先輩からメールをいただきました。

会おうとの内容でした。

僕はSさんにクレアチニンが3.0になって身体障害者手帳をもらってショックな事を打ち明けた。

S先輩は

「ここであきらめるのではなくて、さらに、ここからが人生の勝負所と思い直して一緒に頑張っていこう」

と言ってくれました。

 

続けて、

「僕は健康なので、kiyokunのしんどさは分からない。

でも、あえて、より一層、頑張って、頑張って、頑張っていこうと言わしてもらう」

 

そしてS先輩は

「僕はまだ若輩者だが、人生の深い深い意味は、kiyokunの様に苦しんだ人にしか味わえないと思う」

 

「だからこそ、ここで気落ちしてしまうと大事な心までが病気になってしまう。

そうでなくてここからさらに、一緒に頑張っていこう」

 

と話してくれました。

 

04

 

 

 

また、S先輩は

 

「今は悩んでいても人生は最後の最後が幸せになっているかどうかであると思うよ。

若い時に、病気で悩んだり、経済的に苦しんだりする事があるけれども全部乗り越えて、

最後に幸せになっていけば良いと思う。」

 

と話してくれました。

 

続けて

 

「そのために、僕はkiyokunの先輩ではなくて、友人として60歳になっても70歳になっても、一緒に悩んで考えて進んでいく覚悟やし、どこまでもkiyokunの応援団長でいるよ」

 

と語ってくれました。

 

S先輩の話し方はいつも「一緒に」と語りかけてくれました。

他人事でなく、なんとか僕の事を分かろう、分かろうとする話し方でした。

僕は身体障害者になって気落ちしていましたが、S先輩の話し方からS先輩の心の大きさと暖かさを知りました。

S先輩は僕の一つ上ですが、S先輩の心に僕は全く及びませんでした。

僕は病気になっている場合ではなくて、僕もS先輩の様になろうと思いました。

 

その後で二人で食べたお汁粉は格別に甘くて、美味しかった。

 

 

僕は知らなかったのですがS先輩は当時とても忙しかった。

S先輩の仕事が終るのが終電が無くなってからで、僕に送ってくれるメールは時刻がたいてい夜中の1時から2時の間だった。

S先輩は帰る電車が無くなり職場の近くのカプセルホテルで寝る時間を惜しんで僕にメールを送り励まし続けてくれた。

そして、時間をこじあけて、僕と会っていつも渾身の励ましで僕に強い気持ちをもつ様に気合いを入れてくれました。

 

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