次の日のMくんの家庭教師の後でTさんの講義が始まった。
Tさんはニヤッと笑いながら、
「オイ、彼女できたかい」
と言いました。
僕は
「無理でした」
と答えました。
実際に僕はその時は病気の事で頭がいっぱいで彼女を作ろうとは思ったことはなかった。
Tさんは
「彼女ができなかったのはkiyokunが必死になって今日までに彼女を作ろう、欲しいと思ってないからや」
「それと同じでkiyokunが必死になって腎臓病を治してやろうと思ってないから治らないんやで」
「彼女は誰かがkiyokunのために作ってくれるのではないわな、それと同じで病気も医者が治してくれるのではないんよ。病気は自分で治すものなんよ。」
とTさんは言いました。
Tさんは続けて、
「前々から言っている、人間は無限の可能性を持っている。でもその可能性を開く方法をkiyokunは知らんのや。」
と言いました。
僕は少しムッとなりました。
自分では真剣に病気を治そうと必死な思いで病院に行き、手術をし食事療法やたくさんの本を読んできたからです。でもなによりもTさんの言葉に僕自身の甘かった所もありそこをズバリとつかれたからかもしれません
Tさんは僕の心の内を見透かすように続けて話してくれました。
「ワシが知っている中で人間の可能性を開く一番いい方法、
それは祈ることや。」
と言いました。
僕は呆気にとられました。
何かもっと凄い方法があると思っていたからです。
でもかまわずにTさんは続けて、
「祈るのは一番簡単で易しいし誰にでも出来ることや、でも一番難しいことでもあるんやで」
「最初は誰でも必死に祈ることができる。でもなかなか願いが叶わないから疑問が起こってくる。そして自分に不信が起こって祈るのをやめてしまうんや」
「つまり祈ることは自分との対話であり自分との戦いなんや」
と祈りについて教えてくれました。
それだけに誰にでもできることではないと言いました。
「それができるのはどうしても人工透析になりたくない、どうしても腎臓病を治したいと思っているkiyokuknしか祈れないんや」
「元気な人は、まぁ、ええかと途中でやめてしまう。」
とTさんは言いました。
そしてTさんは祈りの中でも「本気の祈り」をしないといけないと教えてくれました。
「本気の祈りは人間の細胞をも根本から変えてしまうんや。人間の体は約60兆個の細胞からできている。その細胞を祈りで元気のいい細胞に変えてしまうんや、そうすれば腎臓病も治る。」
「祈り方は、頭の毛の先から足の指の爪の先まで体全身で祈るんや。心の中の祈りが隣の人に聞こえているのかというくらい必死で祈るんや」
僕はTさんのお話に気迫を感じました。