僕は「一段一段と石垣を積んでいく」という考え方を「腎臓病を治す」という事に当てはめてみた僕の考えをTさんに言った。
Tさんはそれではダメだ、治らないと言った。
Tさんは続けて
「感謝する事が抜けている。」
「それでは途中で挫折してしまう」
と言った。
僕はまたわからなかった。
Tさんは
「一段一段と石垣を積むごとに感謝するんや。振り返って積めた事に感謝するんや。」
「kiyokun の場合は今まで出来なかった事が、出来る様になった事に感謝するんや。
それはどんな小さな些細なことでも感謝するんや。自分の小さな変化をしっかりと見逃さ無いようにするんや」
「そうでないとkiyokunがしんどくなった時に不満が出て積む事をやめてしまう。または医学的な結果が悪い時に積む事をやめてしまう。」
「祈って、良くなった小さい事に感謝していくと、結果が出ていると自分で確認できるから毎日自信を持って前に進んでいける」
「その結果、だんだんと腎臓病が治っていくんや」
と教えてくれました。
そしてTさんは
「祈りを中心にして石垣を一段一段積んでいくような物事の進め方は無限大や」
「なぜなら本人次第でどこまでも大きくできるから。大きくなるというのはどんどん人生が開いていって幸せになれるということや」
「でも人間は本来怠け者やから必死で祈らない。だから難病の人ほど真剣になれる」
「kiyokunは腎臓病に感謝せんと、あかんのや」
「腎臓病のおかげで新しい人生を開いていけるんや」
Tさんの渾身の励ましで、僕はもう一度「本気の祈り」をする決意をした。
でもまだ、Tさんの教えてくれる「腎臓病に感謝」は実感としては無かった。
僕はまずは腎臓病のしんどさ、倦怠感をなんとか克服したいと思っていたからだ。
不安と葛藤を胸にもちながらも、僕はいつか腎臓病に感謝できる自分を作っていこうと決意した。