祈りの効果も現れて来て、体調も僕自身で良くなっていると感じてきました。
僕は自信満々でH先生の病院に定期検診に行きました。
12月のその年の最後の定期検診です。治る目標の時期はお正月です。
時期は少し早いけれどもある程度は良くなっているだろうと期待しながら行きました。
でも、驚く事に、なんと、腎機能を現すクレアチンは悪くなっていました。
僕は空を見上げて呆然としました。どのくらいの時間、空を見上げていたのか分かりません。
空はどんよりと曇っていました。
「これは一体どういうことだろう。なぜ治らなかったのだ。」
僕は心の中でつぶやきながら歩きは始めました。この後どうしたのかはあまり覚えていませんでした。
気がつくと僕はTさんに電話をしていました。
「なぜ、治らないのか」
「絶対に治ると言ったではないか」
僕はTさんに不満をぶちまけた。
Tさんは僕の不満にも全く驚く様子もなく平然と
「祈る前と後を自分でよくよく比べて考えてみよ」
と言いました。
僕は治らなかったという事に頭に血が上って考える事は無理でした。
3ヶ月間毎日3時間祈ったら治ると言ったじゃないかとTさんに食らいついた。
Tさんは
「治るか治らないかというゼロか全てか、という考え方では無しに、
祈る前と後を比べてみよ」
と言いました。
僕はそういえば、祈り始めてから足音が大きくなって体調が良くなり弟の仕事の手伝いも出来る様になった事が頭に浮かんだ。祈る前はそんな事は考えられなかった。
Tさんは少し僕が落ち着いたのを感じ、話を続けてくれました。
「kiyokunの今の考え方は3ヶ月3時間祈って治らなかったからゼロで、治ったら全てという考え方やな。」
「ゼロか全てかという風に物事を見るのではなくて、一段一段、お城の石垣を積んでいく様に物事を見る事が大事」
「ゼロか全てという様な物事の進め方では空にモノを築くようなもので土台が無いから
モノを積み上げてはいけない。積んだと思ってもすぐに崩れる。」
「世の中のほとんどの人は早く病気を治したいとか、早くお金持ちになりたいとか、早く何かを得ようとしているから、空にモノを積み上げるようなもので2、3段積んだと思ったらバシャンと崩れる。その繰り返しや。それで空しく人生を終える」
僕は知らない間に気持ちが落ち着いてTさんのお話を聞いていました。