ありがとう腎臓病

このブログは25才で腎臓病と診断されたKIYOKUNが、ある人からの「腎臓病に感謝」という言葉をきっかけに、毎日を精一杯生きてHAPPYな人生を歩む物語です。

其の97
Tさん

 

パソコン教室が終ってK病院に入る。

受付で少しおしゃべりをしてエレベーターに乗り、

更衣室でこの病院で2番目に派手なパジャマに着替えて透析室に入ります。

体重を計って僕のベッドに行くと、その日の担当のスタッフさんが来てくれます。

 

今日の担当はTさんだった。

Tさんはベテランの男性で僕の大好きなスタッフの方でした。

シャントに針を刺すときもTさんに刺してもらうと全く痛みはないほど上手で早いのです。

Tさんは声が穏やかで優しいのです。

話していると僕も穏やかで幸せな気分になってきます。

透析の始まる準備の時や透析が終って後片付けをしながら、

Tさんとたくさんの話をしました。

 

特に僕の周りのベッドの患者さんが早く帰ってしまって透析室に人気が少なくなった時に、

Tさんは椅子を僕のベッドの横に持って来て座っていろんな話をしてくれました。

 

Tさんは甲子園で優勝したこともある名門野球部のピッチャーで背番号はずっと11番だった事。

高校を卒業して病院に勤めて、昼は仕事で夜は学校に通って資格をとった事。

院長に誤解されて病院を辞めざるを得なくなり、家から遠い病院に勤めて、

家族を路頭に迷わしてなるものかと必死に仕事をして知人の紹介で今の病院に来た事。

昔の人工透析は健康保険の適応が無くて透析をするのにたくさんのお金が必要だった。

みんな田を売って山を売って家を売って借金してお金をかき集めて透析して、

お金が無くなったら透析できずに亡くなっていった事。

それから安心して人工透析が出来る様に患者さん達が頑張った事。

 

夜遅い時間に透析室でTさんと二人でいろんなお話をしました。

Tさんが自分の過去を語ってくれた事で、安心して僕はTさんに命を預ける事ができました。

また、Tさんに教わった人工透析の歴史を考えると、今の僕は本当に恵まれているなと思いました。

 

 

 

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