ありがとう腎臓病

このブログは25才で腎臓病と診断されたKIYOKUNが、ある人からの「腎臓病に感謝」という言葉をきっかけに、毎日を精一杯生きてHAPPYな人生を歩む物語です。

其の153
病室に戻る

 

集中治療室で経過をみて異常が無かったので、無事に病室に戻ることになりました。

 

人工呼吸器もとってもらって楽になりました。

拘束バンドも外してもらいました。

でも僕は自由に動けませんでした。

手術でお腹を切っていて痛くて動けませんでした。

身動きが全くできませんでした。

ベッドの上で寝返りも打てませんでした。

 

お腹は右の下腹からおヘソの下を通って左の下腹にちょうどひらがなの「し」の字のように切って30針縫ってありました。

その縫ってある下の僕の膀胱の右に母からもらった腎臓はつながっていました。

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そしてお腹の中から管が出ていました。

2本出ていました。

1本は縫った箇所から出ていました。

もう1本は右のお腹の下腹部から出ていました。

そしておチンチンのさきから管がもう1本出ていたのです。

これは母からもらった腎臓が働いておしっこを作ってくれるのですが、

僕が全く身動き取れないのでトイレに行かなくても良いようにしてくれていました。

そしてこの管を通って出たおしっこを先生方が検査してくれて、

僕の病状に合わせてお薬を投与してくれるのです。

 

また、背中からも管が出ていました。

麻酔を送るための管でした。

麻酔は脊髄に送られていました。

麻酔はモルヒネでした。

看護師さんは

「モルヒネが切れて痛みが酷い時は、

我慢しないで言って下さい。

モルヒネを追加しますから。」

と言ってくれていました。

 

僕はまだ意識をもうろうとしながら、

うなずいていました。

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コメント

  1. ゆうくんまま より:

    腎臓病を患う小学二年生男児の母親です。
    腎臓が悪くなったと気づいたとき、彼はピカピカの小学一年生の春。なんだか毎日ダルそうで、でも、それが病気だと気づかず。
    その時点でクレアチニンは10.0でした。(さすがサイレントキラー。全く予期していませんでした。)
    血漿交換をし、なんとか今はクレアチニン0.22位を保っています。
    でも、具合が悪くなったり、疲れすぎるとすぐに血尿。今度は扁桃腺も取ります。
    「いつか、ママの腎臓をあげるから。絶対に大丈夫」と彼を励ましながら、時々不安になったりしながらの闘病生活です。
    でも、何も文句を言わない彼の強さに、私がいつも負けてしまうくらい。
    いつかKIYOKUNのように私の腎臓の型が合い、移植できますように。と願っています。
    これから先、不安なことも多々あるのですが、ブログを読んで少し安心。
    私は彼には結婚も、将来の夢もあきらめてほしくない。大丈夫、将来夢をかなえられるよ、と、ブログを読んで伝えました。
    前向きに頑張ります!!
    経験談をありがとうございます。本当に励みになります。

    • kiyokun より:

      ゆうくんまま さん

      メッセージありがとうございます。
      またブログを読んでくださってありがとうございます。

      息子さん、まだ小学校二年生ですか。
      大変ですね。
      僕も小学校五年生の時に扁桃腺肥大から将来、腎臓病になるかもしれない、と医者に言われていたそうです。

      息子さんは我慢強いのですね。
      お母さんとしては胸が締め付けられるほどの苦しさの毎日だと思います。
      でも息子さんやお母さんが強い心だということがメールから伝わってきましたので、
      きっと病気を乗り越えて行けると思います。

      将来の夢も、病気という障害があるからこそ、誰よりも強くチャレンジできるのだと思います。

      僕もまだまだですが、一緒に頑張っていきましょう。

      メールありがとうございました。

      腎臓病がよくなることをお祈りしております。

      kiyokun

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